しまちゃんなりの小説の読み方

読了した小説を、ある観点から紹介していきます!そういう見方があったか!と思ってくれれば幸いです

村上春樹さんの姿勢の変化

スプートニクの恋人』を読了しました。

この作品は1999年に書かれ、2001年に文庫として発行されました。爆発的に売れた『ノルウェイの森』に続く恋愛小説となっています(短編を除く)

ノルウェイの森』での書評でよく見かける言葉は、「デタッチメント」。つまり、社会に対してまっすぐ向き合っていかない、そのような姿が描かれていました。主人公は、大学の講義を非常にのんびりと受けたり、家事が起こっても逃げず、達観した様子で世界を眺めています。「傍観者」とも言えるかも知れません。

前回の『ねじまき鳥クロニクル』の時のブログでも書いたように、『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』の間で、劇的な事件が生じました。「地下鉄サリン事件」と「東日本大震災」です。この事件から村上春樹さんは考え方を大きく変えました。劇的な事件によってどう考え方が変わったのか、恋愛小説という同ジャンルである『スプートニクの恋人』と『ノルウェイの森』を見比べていきたいと思います。

 

まず、はっきりと違う点は、恋人が近ずいてくるか、離れていくかだと思います。『ノルウェイの森』は緑が積極的に「私」に働きかけてきます。しかし、『スプートニクの恋人』は、すみれを追い続けます。すみれは「私」に好意は抱いています。しかし、そこに性的な興奮はうまれていない。恋人となり結婚と結びつけるには少し距離があるような感じです。「私」はその事を分かっているからこそ、すみれと共にいて苦悩する。『ノルウェイの森』が「デタッチメント」であるならば、『スプートニクの恋人』は、「コミットメント」(関わろうとする姿勢)と言うことができます。

では、この違いから、私はどう考えるか

私は、受動的なことはためにならないと思いました。村上春樹さんの大学時代は、闘争時代。安保条約の締結などから、大学生たちが政府に、社会に反抗し生きていた時代。何人かの学生が亡くなり、東大も入試が無くなるほどの過激さでした。村上春樹さん自身、激しい世の中を生きていくことに苦労していたのかもしれません。でなければ、第三者の目みたいな小説を書かないでしょう。だからいちいち社会に関わっていこうとする姿勢を見せる必要はなかった。『風の歌を聞け』(1979)の1フレーズ、「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」のように、高度経済成長期の副産物、つまり、社会を否定しています。いわば、「否定性」の時代だと言えます。

では、2000年付近ではどうか?多くの人が亡くなる凄惨な事件だけでなく、慢性的な不況に日本は陥ってました。1970年代の高度経済成長終末期とは、大きく変わった状況です。マイナスな面が目立つ2000年付近は、何か変わる必要がある時代でした。教育では、ゆとり教育の開始。能動的でないと前に進めない世界。村上春樹さんはその環境を感じとったのだと思いました。

 

村上春樹さんは、小説にテーマ性を強く持たせる作家さんだと思います。村上春樹さんのテーマはこれだけでないと思います。私はまだあまり気づけてないですが、読んで是非感じて欲しいと思います。

 

(最後に)

能動的なことを求めた『スプートニクの恋人』ですが、村上春樹さんは「デタッチメント」の姿勢も書かれてました。「私」の生徒(にんじん)がスーパーマーケットで万引きをしたシーンがあります。にんじんはなぜかスーパーマーケットの大事なロッカーの鍵も持っていました。そんな状況で「私」は、ポイッと捨ててしまいます。「どうせ大事な鍵ならスペアでもあるさ」と。

社会的なルールに基づくなら、返すべきでしょう。でも村上春樹さんはそうは書かなかった。そこに村上春樹さんの「デタッチメント」の姿勢が現れていると思います。

ちなみに、村上春樹さんはインタビューで「『私』がギリシャから帰ってきてからどうするかわからなかった。にんじんは一種の救済であった』と述べています。今回、にんじんという人物から、読むことはできませんでした。そういう視点が何か新たなテーマを生んでいるのかもしれません。