しまちゃんなりの小説の読み方

読了した小説を、ある観点から紹介していきます!そういう見方があったか!と思ってくれれば幸いです

流行・なんて・糞喰らえ・さ

坂口安吾さんの『白痴』、読了しました。

坂口安吾さんは、歴史的に有名な方ですが、中学や高校の教科書では滅多に出てこない作家さんです。文体の迫力性や感情の昂りが強い作家さんだからでしょうか(これは『白痴』から感じられたことなので、他の作品を読めば変わるかもしれませんし、主観的な考えなので正しいとは限りません。ただそう感じただけです)

『白痴』が書かれたのは、1946年。戦後直後となっています。生きることが難しい時代に書かれたことによって、坂口安吾さんの強い気持ちが、ひしひしと文章から感じられました。私が感じたことを述べていきたいと思います。

 

終始一貫して、これだと感じました。「流行を嫌う」です。

『白痴』の中でこういうフレーズがあります。「流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思い込んでいる。事実時代というものは只それだけの浅薄愚劣なものでもあり、日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が果して人間の真実に何の関係があったであろうか。」です。このフレーズからも流行を嫌っていることはよく分かります。当時は、戦後直後で、流行が今ほどあったとは言い難いと思います。坂口安吾さんは、戦前を意識したのではないでしょうか?戦前は、「国のため」といって自分の本心を隠し、多くの犠牲を払ってきました。民衆も戦争に勝つのだという風潮に流されて(意識的だろうが無意識的だろうが)働いていました。事実『白痴』のシーンでも見られます。爆弾が投下され人々は逃げるのですが、「私」と白痴の女性は、その人々と同じ方向に進みませんでした。水で浸した毛布に包まって火の海に飛び込んでいったのです。結果生き残ることになりました。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というフレーズに一石を投じる形ですね。

では、ただ流行を嫌うだけなのか。それなら、坂口安吾さんの好き嫌いの問題であって、読者としては「あっそ」で終わります。

次があります。「自分の信念を貫く」ということです。

私は、ここでタイトルを回収しにきたなと感じました。「白痴」とは、重度の知的障害のことを指します。差別用語になっています(少なからずその傾向はある)。『白痴』の中で「俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の思考の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。」とあります。ここからも人の考えに乗っかるのではなく自分の目で見て、素直に考えて生ていくことが大切だと読み取れます。

 

流行ってのは、私自身めんどくさいと感じます。たしかに経済を回す(服などを買わせることによって)ためには必要な手段ですね。でもそれで何か失ってしまっている気がしてならないのです。コンテンツとして今、YouTubeが流行っています。いつでも見れる、無料、また自分が動画を上げれば(条件はあるが)お金が入ってくる。非常にメリットの多いコンテンツだと思います。でも、YouTubeに飽きてしまいました。私にとって、時間潰しの道具だったのが、情報を得るためのツールになりました。なぜか?単純です。必要ないからです。チャンネル登録した人の動画を見ると、それに関連した動画が出てきます。しかし、それを連続させて再生回数を増やすYouTubeの考えを知れば、やめないと大事なものが奪われる(時間など)と感じるようになります。今の自分にとって優先事項が低いって思うから、YouTubeにドップリハマれないんです。

 

『白痴』が有名であるということは、今の時代に通ずるところがあると多くの人が感じたからだと思います。是非手に取って、坂口安吾さんの思いを感じとって貰えたら…なんて思います。